This page contains a Flash digital edition of a book.
 キーン 戦時中、作家の高見順は母を疎 開させるために上野駅に行き、そこに静か に並んで列車を待つ大勢の人を見て、この 国民とともに生き、ともに死にたいと日記に 書きました。それはいつの間にか、私の気 持ちにもなりました。  日本永住を表明すると、多くの人から


「勇


気をもらった」と礼状が届きました。生まれ て初めて人に勇気を与えたと分かり、私の 生涯で最も重要な出来事の一つとなりまし た。今となってはなぜもっと早くそうしなかっ たのかと思っています。





キーン—もっと良い日本に 池澤—悼みながら一歩を キーン—ともに生きたい 池澤—東北に添っていく


 池澤 僕は外国文学を多く読んできて、 日本以外の国でも暮らし、どちらかと言うと 日本に背を向けてきました。他国の事情を 知り、日本に持ち帰るのが自分の仕事だと 思ったんです。それが震災を機に、もう一 度気持ちが日本に向いてきている気がしま す。  例えば、以前は桜という花があまり好き ではなかった。咲いてすぐに散ることに美 的な価値を見いだす日本的心情にうまく乗 れなくて。一番の例が戦争中の特攻隊です。 でもやっぱり、この国は桜なんだなと。桜 が咲けばほっとするし、慰められもする。


 キーン 桜は東北が最もきれいだと言わ れますが、


私もそう信じるようになりました。


吉野をはじめとする日本各地の桜は本当に 美しいものです。しかし、黒い森の中であ でやかに咲く東北の桜にこそ、桜の本質を 見る気がします。千本桜より森で光を放つ1 本の桜、その姿が東北的にも思えます。


 池澤  ばかりは墨染めにさけ」


「深草の野辺の桜し心あらば今年 。古今集ですね。


大事な人を亡くして悲しいときに、明るい色 の桜は咲いてほしくないという気持ちを自然 に投げ掛けている。それが去年はふさわし いと思っていました。それでも桜はきれいに 派手に咲く。そして、それでよかったんだと 安心もする。複雑な気持ちでしたね。


 キーン 方丈記に書かれた地震や源氏物 語の野分(台風)などの例外はありますが、 日本文学で災害を書いたものは驚くほど少 ない。多くの災害があり、悲しくても


「瑞穂


の国」として自然に畏敬の念を抱いていた ということでしょうか。


一文を残しました。杜甫は 無常感


 池澤 国土愛ですね。ヨーロッパで時々、 「日本には英知はあっても、きちんと論理化 された哲学がない」と言われます。そうい うとき、僕は「じゃあ、フランスには季節は いくつある? 日本には30も40もあるよ。 われわれは、桜の咲き始め、満開、散ると きは、違う季節だと思っている」と話すん です。  そういう細かな変化を日本の自然は次々 と見せてくれる。それを美しいと思い、短 い詩などを書くうちに、時は流れていく。 だから論理化された哲学の代わりに、日本 には文学があったんじゃないか。日本文学 の主題はいつでも、


「移りゆく時を見ている 自分たち」なのだと思うんです。


 キーン ヨーロッパの人は、ものがいた ずらに変化することを喜びません。古くはギ リシャ時代から


「永遠」を意識し、大理石


の神殿を建てました。どれほど時間がたと うと変わらない何かに希望を託したのです。 一方で日本人はものが変わっていくことを受 け入れ、場合によっては喜びを感じてきまし た。


 池澤 災害のたびに、それまで営々と築 いてきたものを全部失って、身内をたくさん 亡くして、みんな大声で泣いて、それでも なんとかあきらめて立ち上がって、またつく る。そのうちに良いことがあり、楽しいとき も来て、その繰り返しで人生や歴史はでき ている。だから、たぶん


「永遠」のことは


考えなかったんでしょうね。変わるものだと いう無常感が中心ですから。


 キーン 私は日本文学を通じて 「世の常


なさ」ということを深く考えるようになりま した。


 池澤 それをたった今に当てはめてみる と…やっぱりつらいことだなと思います。昔 の日本人が災害に遭って泣いたのと同じよう に、われわれは泣いています。


言葉は残る


 キーン 57年前に芭蕉の「奥の細道」 をたどる旅に出ました。芭蕉は多賀城で 良時代の)


(奈 「壺碑」を見たとき、最も重要な  池澤 天災に対しては、助け合う、行儀


 キーン そうです。全くそのとおりです ね。


「国破れて山河あ


り」と書き記しましたが、芭蕉はそうでは ないと言います。山は崩れ、川の流れも変 わる。それでも残るものは何か。それは人 間の言葉だと。


 池澤 僕は今、 東北とはどういう土地だっ


たのだろうと考えています。芭蕉で言えば、 多賀城、松島、平泉あたりまで行き、そこ から


(日本海側の)象潟に抜けている。な ぜその先に行かなかったかというと、歌枕


(和歌で詠み継がれた場所)がなかったか らですね。


 キーン そうです。確かに芭蕉は西行の 歌枕を探していました。そして私たちも過去 から残ったもの、価値のある何かを探して いると言えます。


 池澤 京都を中心とした文化から言えば、 東北はやはり


「外側」だったんだと思いま


す。日本の中で切り捨てられ、常に割の悪 い思いをしてきたと、東北の人たちは思って いる。でも、僕の東北の友人は「今回の震 災では本当に日本中が助けてくれた」と言 いました。駆けつけ、物を送り、話を聞く という応答に対し、「こんなことは初めてだ」 と。そうだとしたら、われわれは昔より少し は良い人間になったのかもしれない。


怒り


 キーン 震災の被害は甚大ですが、日本 全体では普通の生活をしているところが圧 倒的に多いでしょう。しかし、自分たちが大 丈夫だからといって、東北を無視すること は絶対にできません。  一方、海外での日本人の評判は高まりま した。あのような極限状態でも人々は節度 を守り、略奪などは起こさなかったと称賛 されています。


演劇などの収益を日本に送っ


たり、東北の人が震災について詠んだ短歌 を英訳したり、米国だけでなく、世界の人々 が日本に手を差し伸べています。


 池澤 これで原発事故さえなければ、評 判はもっと良かったのですが。


SAN DIEGO YU-YU


JANUARY 1, 2012


17


Page 1  |  Page 2  |  Page 3  |  Page 4  |  Page 5  |  Page 6  |  Page 7  |  Page 8  |  Page 9  |  Page 10  |  Page 11  |  Page 12  |  Page 13  |  Page 14  |  Page 15  |  Page 16  |  Page 17  |  Page 18  |  Page 19  |  Page 20  |  Page 21  |  Page 22  |  Page 23  |  Page 24  |  Page 25  |  Page 26  |  Page 27  |  Page 28  |  Page 29  |  Page 30  |  Page 31  |  Page 32  |  Page 33  |  Page 34  |  Page 35  |  Page 36  |  Page 37  |  Page 38  |  Page 39  |  Page 40  |  Page 41  |  Page 42  |  Page 43  |  Page 44  |  Page 45  |  Page 46  |  Page 47  |  Page 48  |  Page 49  |  Page 50  |  Page 51  |  Page 52  |  Page 53  |  Page 54  |  Page 55  |  Page 56  |  Page 57  |  Page 58  |  Page 59  |  Page 60  |  Page 61  |  Page 62  |  Page 63  |  Page 64  |  Page 65  |  Page 66  |  Page 67  |  Page 68  |  Page 69  |  Page 70  |  Page 71  |  Page 72  |  Page 73  |  Page 74  |  Page 75  |  Page 76  |  Page 77  |  Page 78  |  Page 79  |  Page 80  |  Page 81  |  Page 82  |  Page 83  |  Page 84  |  Page 85  |  Page 86  |  Page 87  |  Page 88