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映画監督 Junichi Suzuki すずきじゅんいち


本名 鈴木潤一。1952 年神奈川県茅ケ崎市生まれ。1975 年東京大学文学部倫理学科卒業後、日活 に入社し、様々な監督につく。1981年監督昇進。1984年よりフリー。1988 年作品「マリリンに逢 いたい」が 250 万人の観客動員を記録。1990 年文化庁からニューヨーク大学大学院に客員研究員 として派遣。1991 年に米国で製作した「In The Soup」がサンダンス映画祭グランプリ/審査員特 別賞を受賞。2008 年、第二次大戦時にカメラマン東洋宮武氏のレンズが捕えた日系人強制収容所 の実態を描いた「TOYO’S CAMERA」を発表。2010 年、米陸軍日系人連隊「442」をテーマに した記録映画を公開。2012 年、謀報部員として活躍した日系 2 世のドキュメンタリー映画「MIS」 を発表。妻は女優の榊原るみさん。るみさんは"監督の監督"として3部作の制作・発表にも携わった。


すずきじゅんいち監督の最新ドキュメンタ リー映画「MIS」が 4 月から 6 月にかけ てハワイやニューヨーク、カリフォルニア などの数都市で上映され、大きな反響を 呼びました。第二次大戦時の日系米人史を 描く長編記録映画3部作を制作・発表し、 約 10 年間のアメリカ生活を終えて帰国 するすずき監督からお話を伺いました。


日系米人史3部作 僕がこの 7 年間に制作した第二次世界大 戦期の日系史3部作は、まず、日系米人で 最も有名な写真家、東洋宮武の撮影した 500 枚以上の写真を中心に米国本土での 日系人強制収容を描いた「TOYO’S CAMERA」。次に、日系人の地位を戦後 大幅に向上させる契機となる、欧州戦線 で大活躍した「442 日系部隊」


。最後の


作品が、一般にほとんど知られていない 日系兵士中心の軍秘密情報組織 ( ミリタ リー・インテリジェンス・サービス)「ふた つの祖国で‒MIS 日系陸軍情報部‒」の3 本です。映画の企画から撮影準備、撮影、


編集、そして公開などを含めると、1本最 低でも2年以上を要しています。3作品を 制作・発表してきたこの約7年間は、まさ に毎日が「戦争」と「当時の日系人が受け た人種差別などの苦難」


、さらに「今日の 世界情勢」について考え続けた日々でした。


映画監督としての使命 ロサンゼルスに暮らすようになり、多くの 日系米人と出会いましたが、彼らの歴史 を自分があまりにも知らないことに気づい て呆然としました。自分の専門である映 画で彼らの歴史を分かりやすく語り、日 本人や日系人に知ってもらうことが、この 地に住みついた映画監督としての自分の 務めかもしれないと思うようになりました。


葛藤と決断 勿論、日系米人への専門的知識が乏しい 部外者の自分が適任なのかと悩みもしまし た。しかし、当事者でもなく、日本在住者 でもなく、米国にそれなりに長く住んでい る自分だからこそ、中立の立場から映画が


日系人の苦悩 日本軍の真珠湾攻撃で始まった日系米人 の苦難の歴史は学校で教わることもなく、 ほとんどの日本人が知らないのも無理は ありません。また、年配の日本人には移 民=日系人に対する無意識の差別がある のも事実でしょう。


「貧しいから海外に出


た」という見下した発想があると思えて なりません。ダニエル・イノウエ上院議 員が当時の岸信介首相に「日系人に駐日 大使をさせたい」と提案したところ、首 相からの「食い潰れて日本を出た移民に 務まるのか」というニュアンスの返答にシ ョックを受けたという実話があるほどです。


母国を離れた者 「ゆうゆう」の読者の皆さんも僕と同じ立


「日本人」を考える 日系人をより知ることは、自分のルーツ を深く考えることであり、日本人としての 自分を自覚させることです。それをロサ ンゼルスで実現できたのは、日系人との 出会いのお陰にほかなりません。彼らの 歴史を知るために、僕の映画3部作をご 覧になって頂ければ幸いです。日本人と しての自分自身をより知ることが、必ず できると思います。


作れる可能性があると考えるようになりま した。日本人が作る映画をご覧になった日 系人の方々が、自分たちがどう思われて いるのかを客観的に把握できるという意味 でも、制作の意義があるのではないかと。


場の人が少なくないでしょうから、共感 されると思いますが、現代の日本人も海 外に出た人間に冷たい感じがします。幸 運にも平和で無事という母国での生活習 慣が昔からあり、外国に目を向けないで 暮らせることから、海外生活者への興味 が高まりません。国際化を叫び続ける日 本ですが、移民の人たちを尊重し、手を 取り合って行動するという発想が乏しい のも哀しい現実です。これは日本に限ら ず、欧州からの移民2世、3世からも同 様の声を聞きます。


 


当時442部隊に従軍して数多くの栄誉を受けた ダニエル・イノウエ上院議員も実体験を語った


「Toyo’


s Camera」


「442」


「MIS」の DVD は 日系書店かhttp://utbhollywood.comで購入可


第 442 連隊戦闘団 や MIS 日系陸軍情報部の活 躍と功績が後の日系米人の地位を向上させていく


「LA の日系人との出会いで、米国と日本を第三者 の視点で見ることができた」と語るすずき監督


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