ス タッフ 閑 談 今回のテーマは 「料理」
▽ 実家が商売をしていたので、忙しく働く母親に代わって、子どもの頃 から祖母と一緒に家族の食事を作っていた。昭和30年代、我が家の食 卓には毎日、昔ながらの茶色いおかずたちが並んでいた。▽小学2年 生の夏休み、モダンな父方の叔母さんからサンドイッチの作り方を習っ た。家でふるまったら「これはうまい!」とみんな喜んでくれた。オムラ イス、グラタン、ハンバーグ、洒落た洋風料理が私の十八番となった。 ▽ 料理は人に作ってもらうほうが美味しい。ワシントン州に留学した3 年間は食事付きの寮生活を送った。
「こんなのマズくて食えない」と
文句タラタラの日本人留学生を尻目に、お代わりの列に並んでラクチ ン料理をパクパク食べた。▽ 50代に突入して生活習慣病になりかけ た時、
「カラダは食べたモノでできている」ことを
実感した。今はヘルシーな日本の低脂肪低塩レシピ が我が家の主流となった。週末に “まとめ作り” &
“下ごしらえ” をして忙しい平日を乗り切る。一汁 二菜のシンプルな献立で、疲れたココロとカラダを 癒して「百二十歳バンザイ!」に出演するぞ! (NS)
料理を作るのは結構好きだ。最初に興味を持ったのはお菓子 作りで、小学生の頃からクッキーを焼いて人にあげたりしていた。 慣れてくるとゼリー、ババロア、プリン、ケーキ、タルト、パイ
・・ ・
といろいろ作るようになった。レシピ通りに作ってるだけなので、 大体普通に美味しく出来上がり、何を作っても家族が喜んで食べ てくれたので、ますますお菓子作りに夢中になっていった。特に、 母と妹が気に入っていたのはアップルパイで、秋になると母が大 量に買ってくるりんごでアップルパイばかり焼いていたのが懐しい。 料理は時たま作っていた。母に材料費をもらい、買い出しに行き、 レシピ本を見ながら作っていた。チキンクリームコロッケは油の 中で爆発してすごい出来上がりになったし、他 にもうまく出来なかったものはある。でも、やっ ぱり何を作っても母が喜んで食べてくれた。私 が料理を作るのが好きなのは母のおかげだと 思う。ただ、彼女は料理を作るのはあまり好き ではないそうなのだけど・・・。 (YA)
テーマが料理とはこれ幸い。私は自他ともに認める呑ん兵衛 であるが、意地汚い!食いしん坊でもある。故に、自分で酒の肴 を作るのは義務!的趣味。あれこれと、人様に出せるような代物 でない一品を作ってみては、そしてそれが思いのほか美味しくで きた日には、一人ほくそ笑みながら、その日の気分の酒を飲む。 一方で、外食も大好きだ。私が海外旅行によく行くのは、各国で その土地の料理を食べたい、という強い欲望もあるからである。 現地で出会った人から美味しいものを聞いて、足を運ぶ時のわく わく感は例えようもない。ベニスで食べたイカ墨のパスタ、ブ リュッセルのムール貝、
南インド・ゴアのドーサ&サンバルスープ、
タイの名も無い街での春雨炒めパットウンセン、クアラルンプー ルのカレーうどんとも言えるラクサ、シンガポー ルの太麺クイテオ、カサブランカのクスクス・・・ ああ、忘れられない料理が山ほどある。この 秋に行く南米で、また忘れられない料理に巡り 合えるといいなあ・・・。 (Belle)
レシピサイト
暇さえあれば麻婆豆腐を作っている。賽の目に切った豆腐3丁と大量の 青ネギ、キノコを大鍋に放り込むと、3日分の作り置きができる。得意料 理ではないが、手間要らずの一品なのが助かる。台湾マーケットで見つ けた味の良い「麻婆醤」
もお気に入りで、 セール時にまとめ買いをしておく。
難しいのは水加減。豆腐と野菜から出る水分を計算しないと “溜め池” 状態になってしまう。グルメとは無縁の自分を、希代の美食家である北大 路魯山人の言葉が勇気づけてくれた。
死の直前まで美味を追求した魯山人が辿り着いた 美食の極意は高級食材を使うのではなく、
「美食は何でも、年中有ります」—— “食の境地”がこれ。
調和と工夫だと言い切っている。
「豆腐の美味は京都に極まる」と魯山人は言う。その底力は豊富な地下水 脈らしい。京都の夏を代表する豆腐料理 「雪虎」を 最高料理と絶賛する。豆腐半丁を油で揚げ、炭火で炙
りながら焼き網で筋を入れ(虎の縞模様)、その上に 大根おろし(雪)を乗せる簡単な料理。
150年続く
究極の庶民の味だという。豆腐が大好物の身の上 としては、
いつの日か試さずにはいられない。 (SS) 結集しているから、簡単で美味しい料理がすぐに見つかる。
「クックパッド」はとっても便利。主婦たちの知恵が 「ため
してガッテン」や「はなまるマーケット」で紹介している、化学的な 根拠を元に生み出された料理法もナイス! これらをミックスして 我流の究極レシピを生み出すのが楽しい。昔からよく作っている 餃子も、今では最高のレシピが出来上がっている。そんじょそこ らのお店のよりもウマイのだ。もちろん、パーフェクトな焼き方も 編み出したので、もちもちパリパリ! 最初にフライパンで餃子を 軽く茹でるのがコツ。お湯を捨て、
油を入れて焼くだけ。ハンバー
グもいり卵もマイレシピがある。楽しいクッキングだけど、 実は問題も。面倒だから大量に作って、
小分けに
して冷凍保存するのだが、冷凍できないもの、 例えばブリ大根は毎日毎日食べ続けなきゃな らない。感激の一品であっても、さすがに飽き る……。余りものを使い回せる変化形レシピを 模索しなくちゃ。 (AS)
満星・那月・彩雲の父親は寿司職人! でも、おうちで料理は しないらしい (お母さん情報)。待てよ、ある年の暮れに実家へ 帰ったとき、フグをさばいてくれたよーな?← お母さんがすか さず 「で?それ以外は何作れるの?」
料理=食べ物を作る=愛情を込めて作らないと美味しい料 理が作れない=楽しめないと美味しい料理は作れない=褒め てもらえないと余計作りたくない=面倒だと思うとますます作 れなくなる。自慢じゃないが、私は料理好きじゃない (女性ら しくない?)。仕方がないから適当に作っているだけ (自分と旦 那のため)。食べ物を作る楽しさはよく分からないけど、プレ ゼンテーションするのは結構得意 (自分が思っているだけかも ^- ^)。私の手作り料理は味よりも見た目かなぁー。そして、後 片づけも任してください (これなら自信がある)。料理=食べ物 =Food。最近、到る所でホームレースをよく見か ける。皆が何かのサインを持って、助けを求め ている。ある日、サインを手に持って、道路の 横の芝生に座り込んでいたおじさんを一瞬見か けた。彼のサインは “No Home, No Money, No Food.” だった。心が痛くて、私は車を運 転しながらワーワー泣いていた。 (S.C.C.N.)
食べるのが大好きな私は料理も上手なはず!… なんてことはない。 当たり外れが多い。トマトとカニカマとカッテージチーズで…と食材 からイメージを湧かせて作り始めるから、美味しい時は美味しいが、 不味い時は味が悪いだけでなく、見かけも悪いので最悪! 実家の父は 私が作ったものは見ただけで分かるらしく、母や姉が作った料理には 箸が伸びるのに、私の作った料理の上は素通り。
「不格好な料理なのに
味が良くて驚くことはあるけど、Sちゃんの作るのは見かけ通りの味…」 とは父の評。ところが、この私の料理を褒めてくれる人たちがいる。 アメリカ人の女性たちだ。私の周りのアメリカ人女性は料理をしない。 だから、この私が作る料理をなんでも美味しいと言って喜んで食べて くれる。料理と言えるほどの料理は作っていないの だが、取りあえず食べれるものを作るのがスゴイら しい。ポットラックでも私が作ったものはすぐにな くなる。一方、私の周りの日本人は料理が上手だ。 彼女たちとのポットラックでは、
自分が作った料理の
減りが少ないと慌てて食べる私がいる。 (SSo)
「最近ほんとに忙しくって、
料理する暇も無いから、
ラーメンとかで済ませるんだよね」と友人に言うと、“You
ついつい 「
・・・姪っ子たちにしてみれば、
お父さんの仕事はご飯つくりなので、(ここからは私の推測) 強 い影響が家庭にも及ぶらしい。去年の暮れ、お姉ちゃんの家に 行ってご飯を皆に作ってあげていたら、3歳の那月が横へ踏み 台を持ってきて、プラスチックのまな板と包丁を出して手伝うと 言い出した。そして野菜を切り始めた。このプラスチックの包丁 は本当に切れた。一生懸命に野菜を切っている幼い姪の様子を 見てるうちに、本当は邪魔だからお手伝い終了! と言おうと思ったけど、次から次へと野菜を持っ てくるので全部切ってもらった。(ちなみに、長 女の満星は手伝う気はな~んにもなし) どうせ 子供を持つなら、お料理を手伝ってくれる娘が いいのぉ~。 (満
みほし
星と那 なつき
月と彩 あやも
雲のおば)
are what you eat” だよ」と言われた。この言葉はフランス の法律家・政治家ジャン・アンテルム・ブリア=サヴァランに よる有名な著書『美味礼賛』に由来するようである。言われ てみれば確かにそうである。私の身体は私が口にする食べ物 でエネルギーを得て、今まで生きてきた。随分長い間、大し て足しにもならないものをつぎ込んできたものだと思う。そ れでも、40歳を過ぎて、私の身体は未だに丈夫に稼動して いる。ありがたいことである。もう少し自分の体を労るべきだ ろうなぁと思う。もっと時間があったらゆっくり 料理もするけどな、
と言い訳をしてみるものの、
自分の体を労るよりも優先すべきほどの大 切なことって何だろう。食べるという行為に、 もう少し真剣に取り組みたいと思う今日この 頃である。
(林潤子)
SAN DIEGO YU-YU SEPTEMBER 1, 2010
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