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SAN DIEGO YU-YU


MAY 16, 2012


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ス タ ッフ 閑 談 今回のテーマは


「未確認」


 父方の祖母は臨死体験をしている。戦前、虫垂炎をこじらせて腹膜炎を起こし、術後さらに悪化してあの世に旅立っ た。ところが、病院の遺体安置室で、顔の白布を自分で取って生き返ったそうだ。


「三途の川を見た」 「トンネルの先に


明るい光を見つけた」「お花畑の中を歩いた」「魂が肉体から抜け出した」「死んだ親や兄弟に会った」…。子どものころ から聞いた祖母の寝物語は、おとぎ話よりちょっと恐くて面白かった。そして、事故や病気で九死に一生を得た人々が 語る証言には、祖母が話してくれたのと同じような一連の共通したパターンがあることも知った。 アメリカでは1970年代から、臨死体験に関して、国際的な研究団体が組織され、研究誌まで 発刊されている。


臨死体験は 「死後の世界を垣間見た体験」 なのか、 「生の最終段階において弱っ た脳の中で起こる特異な幻覚に過ぎない」のか。知の巨匠・立花隆氏は『臨死体験』の文末で


「この問題に関して、少なくとも、私が死ぬ前に答えが出るはずがない」と締めている。あの世 のことは未確認。でも、凡人の私は、魂は不滅で、あの世が存在してほしいと願っている。 (NS)


 記憶力がない私なのに、なぜかリストなしで、いつもグロサリーショッピングをしている。買いたい 物は大体忘れないけど、気が付かないうちに予定外の物をカートに山のように買い過ぎてしまう。 その時の自分の脳みその動きは未確認となっている。少し


“病的” かもしれないが、決まった場所に


決まった物を置かないと気が済まない。キレイにしたところを、上から、下から、横から、真っ正面 から何回も自分が満足できるまで確認しないと、気が済まないという性分。


。 。その


満足できない自分の脳みその動きも未確認となっている。短時間でいくつかの事 を同時にしている。すると、やらなきゃいけない事が全部できるし、余裕があれば 好きな事もできる。料理をしながら、床の掃除をし、洗濯物を畳み、音楽を聞き、 Bluetooth で友達と話す。 激しいかどうか、


。 まだ未確認で〜す。きっと、


。同時にいろいろな事をしている自分の脳みその動きが 一生確認できないと思う。。。 (S.C.C.N.)


 リモコンのボタンを押して、ガレージのドアがガラガラと音を立てて閉まる。ガシャンと完全に閉まったのを確 認して、


  。 。


 ちょっとだけ不思議な体験をした。祖父と父の 「ダブル法要」を間近に控え、 仕出し料理と引出物の手配など、


実務処理の話が5分ほど続いたが、 電話の相手は弟ではなく、


日本の弟に電話を入れた。案内状の送付、 同じ市内に住む


だったのだ! 私の間違い電話。それにしても、お互いに疑うことなく、スムーズに会話が進んだ理由は? 実は双方に共通 点があった。① 先方には兄がいる。 ② 互いに法事が近い。③ 菩提寺が同じ。互いの先入観と思惑でコミュニケーションを 始めて、話の符牒が合ってしまうと、脳は未確認のまま


“先行疾走” するらしい。法要日の食い


違いから別人と判明したが、その時に初めて相手の声質や口調の違いに気付くという始末。 人間の脳について少し調べてみた。脳はまず経験則の判断を最優先し、次に扁桃体が反応して (情動反応) 前頭極に働きかけ (意思決定)、正しい行動として所期の目的へと一直線に向か わせるという。意外にも脳は理性的ではなく、簡単に騙されて意思を行動エネルギーに換えて しまう。電話の相手も私も「オレオレ詐欺」の被害者になる危険度が高そうだ。要確認。 (SS)


「未確認」というと「未確認生物」とか「未確認飛行物体」という言葉が思い浮かぶ。もちろん「未確認飛行物体」


を目撃したことはないので、私にとっては映画やTVでの話。スピルバーグの『TAKEN』やドラマ『X-FILES』は面 白かったけど…。


「未確認生物」ではないが、中学生の時、理科で習った “切っても切っても再生する” という「プラナ


リア」を探しに行ったことがある。当時、仲が良かった友達が「プラナリア」に興味をもって、グループ研究のトピッ クに選んだからだ。水のきれいな川に生息している生き物ということなので、


岡山県北部の山間部にある川まで探しにいった。3人で澄んだ冷たい水に足首まで入り、石 をひっくり返して探したが、小さなヒルみたいな気持ちの悪い生き物しかでてこない。


「いな


い〜」と諦めかけた時、ヒルっぽい生き物にちっちゃな目が付いているのに気づいた。それ がプラナリアだったらしい。たくさん捕って帰って、グループ研究の模造紙も作った憶えがあ るが、切られたプラナリアが再生するかどうかは未確認のまま (怖くて切れなかった)。 (YA)


1、2、3と数えてから出発。これが家を出る時の決まり事。この一連のステップを踏むようにしてからは


不安になることはまずない。昔は確認のために家へ戻ったこともあった。家を出て数ブロック走った後に、ちゃ んと閉めたかどうか気になってUターン。閉まっているのを確認して、またUターンして出発 …… 時間のムダだ。 空けっぱなしにするよりかはマシだけど。以前住んでいた家では、ルームメートがガレー ジを閉め忘れて出かけてしまうことが度々あり、


たいへん困った。夜遅く帰ってきてガレー


ジが開きっぱなしだと、もしや泥棒ではとドキドキさせられた。今やガレージに関しての 確認は得意な私ではあるが …… 車のリモートロックだけは別。ドアを閉めたかどうかの 再確認行為は日常茶飯事。車を降りてすぐにプップッ → しばらく歩く → 不安になる → もう1回押す → プップッ。ホッ。3歩歩いて忘れるって、私はニワトリ!? (AS)


 ① 朝起きて、ボタンのある服を目をこすってよ〜っく確認して装着、出勤。朝、同僚に会うと・・・ 「ボタ ン・・・掛け間違えてますよ」。② 朝起きて、服の後ろ前 (札がクビの後ろに来ること。大抵の場合は長袖T シャツ) を目の玉開けて、よ〜っく確認して装着します。がーーーっっっ! すると、突き当たり (デパート用語?)、雪


せっちん


隠 (寺用語?幼なじみのお寺ではこのように呼んでいた)、厠 かわや


! 会社に着いて、2時間後ほども (昔


の言葉?)、女子便 (御トイレ?) に行き、自分の襟ぐりを広げて札があるか服の中を覗 いて確認したら・・・あーーっ!


もあり、札が前ではなく、ちゃんと後ろに来ているよう、出社後トイレで念のため確認・・


! そこに札があるではないかっ! ③ 前回、前々回のこと ・


あーーっっ!! 襟ぐり覗くまでもなく! 自分の顔の下の襟に札があるではないかっ! ( 裏・ 表だけではなく、さらに服を裏返しに着ていた・ さらに確認をしているにも関わらず、


・ なつき あやも どーじてどーじて?! (満星と那月と彩雲のおば)


・) これって未確認よりヒドい! 確認の上、 みほし


 もうじき4歳になる娘の最近の口癖は「どうして?」 ストップなの?」 と聞いてくる。


。娘「ふーん。どうして?」 。私「・・・」 。運転中、信号が赤になってストップすると、 「赤でストップしなかったら、


。子供の疑問や質問に真摯 し


「どうして赤は 青で走ってきた車とぶつかっちゃうでしょ」と応えると


「ふーん。どうして?」。私 「だからね、赤はストップ、青はゴーってルールがあってね。それ守らないと事故が起きちゃ うのよ」


な態度で応えることの大切さについて


は重々分かってはいるけれど、毎日朝から晩まで繰り返される 「どうして」攻撃に、冷た く「そういうもんだからよ」と言い放ってしまうこともしばしば (反省!)。そして、当た り前すぎて疑問を持つ余地がないと思われることにまで、娘から「どうして?」と聞かれ、 3歳児にも分かるように答えようと頭をひねり続けて至った結論がある。私って、本当は 何も分かっていないじゃないか!という恐ろしい事実…。この世は未確認のことだらけで ある。娘よ、未熟者の母ですが、どうぞ見限らずに優しく見守り続けてくださいね。 (RN)


 ▽ 中学の頃、友達と下校中に山の上をふ〜っと飛んで消えた火を見たことがあった。 4 4 44 4 4 4 4 「あ!火の魂だ!」と興奮して、い


つまでも友達と山の上を眺めていたが、結局、何だったのか分からないまま。もしかしたら、みかん農家のおじさんが 何かを投げただけ


かもしれない。▽ 私の姉は子供の頃、なんと実家の前の公園でUFOを見たという。動き方もまさに


水平、垂直で、ものすごいスピードだったらしい。姉がまだ小学校低学年の子供だったことと、一緒に見ていた大人もか なり高齢の祖母だったため、どんなに説明しても誰も信じてくれなかったそうだ。どこまで信じ てよいのか分からないが、本人が見たというのだからそうなのだろう。姉の友達に至っては、手 のひらサイズの小人を見たことがあると言っているそうだ。そればかりは私も 「やっぱりそれは 夢じゃないの?」と疑ってしまったが、考えてみれば、世の中に未確認のものってまだまだいっぱ いあるんだろうなぁ。自分には見えないけど、見える人には見えているものがあるのかもしれな い。


まぁ、 いろいろ見えすぎても怖いので、 私はある程度のものは未確認のままでいいです。 (SU) バスを乗り継ぎ、


“赤の他人”


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